東京都健康安全研究センター年報,64巻,219-225 (2013)
日本における全がんと白血病による死亡の歴史的・地域的状況 ( sage2013.pdf : 350KB, Acrobat形式 )
研究要旨 全がんによる死亡者総数の80%を含む年齢域は,1934-36年には男女とも概ね40歳代から70歳代であったが,漸次高齢化し,2007-09年には男子で60-89歳,女子では60-95歳になっている.死亡年齢の高齢化と同時に死亡者は増加し,近年では,地域差はあまり見られなくなっている.1934-36年と1959-61年の奈良,1934-36年,1986-88年および2007-09年の大阪,1986-88年と2007-09年の福岡において,他の地域と比較して全がんの平均死亡率比が高いことがわかった. |
研究目的
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震を端緒として,東京電力福島第一原子力発電所で原子力事故が発生し,大気中に多量の放射性物質が排出された.原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)の報告書案をまとめたウォルフガング・ワイス博士はウイーンでの記者会見で「(被爆による住民への)健康影響はこれまでなく,将来的にも表れないだろう。」1)と述べているが,現時点では,放射線被爆による健康への影響については完全に明らかになってはおらず,過去及び現在の状況を観測することは今後のヒトへの健康影響を評価するには必要不可欠である.
当センターでは,地域における疾病事象を把握し,衛生行政を支援するために,疾病動向予測システム(SAGE)を開発している.本論文では,このシステムを用いて分析した悪性新生物(全がん)と白血病の歴史的状況と今後の動向を予測した結果を報告する.
研究方法
東京都健康安全研究センターで開発している疾病動向予測システム2-9)(SAGE:Structural Array GEnerator)を用いて,1899年から2010年までの悪性新生物(全がん)と白血病による死亡について詳細な分析を加えるとともに,2024年までの死亡者数の予測を行った.また,現時点での両死因による死亡の状況について都道府県ごとの地域マップで示した.
著者らは,前報8)において悪性新生物については,1899年から現在までの情報が利用できる一方,白血病では1933年からの11年間と1958年以降に限られることを報告した.そこで,年代ごとの地域マップを作成するに当たり,白血病で連続した3年分の情報が得られる1934-36年をその起点とし,1959-61年,1986-88年,2007-09年と概ね25年間隔でマップを作成し,その状況を観測することにした.悪性新生物もこれに習い,1934-36年,1959-61年,1986-88年,2007-09年の4つの年次域で地域比較を行った.なお,1934-36年の情報処理を行うに当たり,都府県別の人口として,昭和10年国勢調査の府県別人口を用いた.
研究結果および考察
1. 全がん
全がんの都道府県別平均死亡率比マップを図1に示し,年次別男女別に平均死亡率比の高い地域と低い地域を表1に示した.
図1. 全がんの平均死亡率比マップ(上段:男子,下段:女子)
表1. 平均死亡率比の高い地域と低い地域
1) 都道府県別平均死亡率比マップ(図1)
全がんによる死亡者総数の80%を含む年齢域は,1934-36年には男女とも概ね40歳代から70歳代であったが,年を追うごとに高齢化し,2007-09年には男子で60-89歳,女子では60-95歳になっている(表1).また,表1の平均死亡率比の最大と最小との差をとってみると,1934-36年には男子では奈良の1.81と岩手の0.56の差が1.25であったが,漸次減少して2007-09年には青森と長野の差が0.30となっている.女子でも同様に1934-36年の差1.02が2007-09年の0.24へと大幅に減少している.このことは,全がんによる死亡の地域差が少なくなっていることを示している.がんによる死亡者が増加する一方で,地域差は少なくなってきている.
1934-36年頃の地域差が大きい理由として,医師が死亡診断書の死因としてがんを記載する割合が地域により異なり,その結果この時期の平均死亡率比に大きな差ができたとも考えられる.
死亡診断書の記入法により人口動態統計がゆがむ例が近年に観測されている.心不全による死亡者の急減9)である.1994年と1995年に心不全による死亡者数が急減し,それと時を同じくして,全がん,虚血性心疾患,脳血管疾患による死亡者数が増加している.これは,厚生労働省が死亡診断書の改定を行い「疾患の終末期の状態としての心不全、呼吸不全等は書かないようにします。」と「死亡診断書(死体検案書)記入マニュアル」に記載した10)ためと考えられる.1934-36年頃の地域差をこのように死亡診断書の記載の異同により説明することもできるが,真の原因については不明である.
表1に示した平均死亡率比をみると,年次によらず高い地域と低い地域がみられる.男女とも高い地域としては,1934-36年と1959-61年の奈良,1934-36年,1986-88年,2007-09年の大阪,1986-88年と2007-09年の福岡があげられる.男女とも低い地域として1934-36年と1959-61年の岩手,1986-88年と2007-09年の長野,1934-36年,1986-88年,2007-09年の沖縄があげられる.
2) 都道府県別年齢階級別死亡率比(図2)
6歳階級で算出した年齢階級別死亡率比を図2に示した.
男女とも平均死亡率比が高い1934-36年と1959-61年の奈良をみると,ほとんどの年齢域で死亡率比が1.2以上と高くなっている.同様に,1934-36年,1986-88年,2007-09年の大阪でも60歳以上の年齢域で死亡率比が1.2以上のところが多くなっている.
図2. 全がんの6歳階級死亡率比と平均死亡率比(上段:男子,下段:女子)
2. 白血病
白血病の都道府県別平均死亡率比マップを図3に示し,年次別男女別に平均死亡率比の高い地域と低い地域を表1に示した.
図3. 白血病の平均死亡率比マップ(上段:男子,下段:女子)
1) 都道府県別平均死亡率比マップ(図3)
白血病による死亡者総数の80%を含む年齢域は,1934-36年には男女とも概ね0歳から50歳代であったが,年を追うごとに高齢化し,2007-09年には男子で54-89歳,女子では60-95歳になっている(表1).また,表1の平均死亡率比の最大と最小との差をとってみると,1934-36年には男子では鹿児島の1.48と滋賀の0.70の差が0.78であったものが,漸次増加して2007-09年には沖縄と山形の差が1.44となっている.女子でも多少の変動はあるものの1934-36年の差0.92が2007-09年の1.81へと大幅に増加している.このことは,白血病による死亡者が増加する一方,地域差は大きくなっていることを示している.
複数の期間にわたって,平均死亡率比が高い地域と低い地域がみられる.男女とも高い地域として1934-36年,1986-88年,2007-09年の鹿児島をはじめとする九州・沖縄地方が,低い地域として1986-88年と2007-09年の中部・関東・東北があげられる.
2) 都道府県別年齢階級別死亡率比(図4)
6歳階級で算出した年齢階級別死亡率比を図4に示した.
男女とも平均死亡率比が高い1986-88年と2007-09年の九州・沖縄地方をみると,ほとんどの年齢域で死亡率比が1.1越え,特に鹿児島や沖縄においては,多くの年齢域で1.5をも越えるほど高くなっている.
1934-36年,1986-88年,2007-09年の3つの時期において恒常的に平均死亡率比が高い九州地方で、1959-61年の一時期だけ平均死亡率比が低い理由は明確にはなっていない.
1934-36年と1959-61年には死亡の中心が0-50歳代である一方,2007-09年にはそれが60-90歳代となっており,平均死亡率比に対する年齢の影響や白血病死亡の質の差を考慮することが必要となろう.また,当時における医療水準の地域差や健康保険の問題も考慮する必要もあろう.いずれにしろ,地域差に関して明確な結論を出すためには今後の研究が必要と考える.
図4. 白血病の6歳階級死亡率比と平均死亡率比(上段:男子,下段:女子)
結論
全がんによる死亡者総数の80%を含む年齢域は,1934-36年には男女とも概ね40歳代から70歳代であったが,漸次高齢化し,2007-09年には男子で60-89歳,女子では60-95歳になっている.死亡年齢の高齢化と同時に死亡者は増加し,近年では,地域差はあまり見られなくなっている.1934-36年と1959-61年の奈良,1934-36年,1986-88年および2007-09年の大阪,1986-88年と2007-09年の福岡において,他の地域と比較して全がんの平均死亡率比が高いことがわかった.
白血病による死亡者総数の80%を含む年齢域は,1934-36年には男女とも概ね0歳から50歳代であったが,漸次高齢化し,2007-09年には男子で54-89歳,女子では60-95歳になっている.1934-36年,1959-61年,2007 -09年の九州・沖縄地方において,他の地域と比較して白血病の平均死亡率比が高いことがわかった.
文献
1) 原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR):プレスリリース:http://www.unis.unvienna.org/unis/en/pressrels/2013/unisinf475.html(2013年7月31日現在,なお本URLは変更または抹消の可能性がある)
2) 東京都健康安全研究センター:SAGE(疾病動向予測システム)ホームページ:https://www.tmiph.metro.tokyo.lg.jp/sage/(2013年7月31日現在,なお本URLは変更または抹消の可能性がある).
3) 池田一夫,竹内正博,鈴木重任:東京衛研年報,46, 293-299, 1995.
4) 池田一夫,上村尚:人口学研究,30, 70-73, 1998.
5) 池田一夫,伊藤弘一:東京衛研年報, 51, 330-334, 2000
6) 倉科周介,池田一夫:日医雑誌,123, 241-246, 2000.
7) 倉科周介:病気のなくなる日-レベル0の予感-,1998, 青土社,東京.
8) 池田一夫,杉下由行:東京健安研セ年報, 63, 287-292, 2012.
9) 東京都健康安全研究センター:SAGE(疾病動向予測システム):https://www.tmiph.metro.tokyo.lg.jp/assets/SAGE/trends.pdf(2013年7月31日現在,なお本URLは変更または抹消の可能性がある).
10) 厚生省大臣官房統計情報部人口動態統計課:死亡診断書等の改訂(案)について,厚生の指標,41,20-25,1994.