東京都健康安全研究センター年報,62巻,275-281 (2011)
日本におけるがん死亡の動向予測 ( cancer2011.pdf : 750KB, Acrobat形式 )
研究要旨
疾病動向予測システムを用いて2004年に報告した2009年の肺がん,胃がん,乳がん,子宮がんなどの死亡者数の予測値と実測値とを比較し,本システムによる予測の有効性について検証を行った.その結果,ほとんどのがんで死亡者数の予測値は実際の値の±10%以内になっており,コーホート変化率法に準拠した本システムによる予測の有効性を検証できた. |
研究目的
衛生行政の基本的な使命は,生活環境の安全性の維持と向上を図ることにある.この使命を達成するに当たり,地域における生活環境の安全性と地域住民の健康損失の状況を定式的かつ継続的に観測するシステムの構築は,非常に重要な意味を持つ.当センターでは,地域における疾病事象を把握し,衛生行政を支援するために,疾病動向予測システム(SAGE)を開発している.本論文では,このシステムを用いて2004年に報告した日本における2009年のがん死亡の予測値1)と同年の実際の値との一致の程度からシステムの有効性を評価した上で,今後の動向を予測した結果を報告する.
研究方法
東京都健康安全研究センターで開発している疾病動向予測システム1−6)(SAGE:Structural Array GEnerator)を用いて2004年に報告した2009年の肺がん,胃がん,乳がん,子宮がんなどの死亡数の予測値1)と同年の実測値とを比較し,SAGEによる予測の有効性について検証を行った.検証の結果に基づき,2010年以降2024年までの死亡者数の予測を行った.
研究結果および考察
1. SAGEによる予測の有効性
2000年までの死亡者数の情報を用いて9年後の2009年の死亡者数を予測した予測値と,人口動態統計から得られる同年の実際の死亡者数を表1に示した.表には,予測値を実測値で除した値(予測/実測)のパーセント値も併せて示した.
表より明らかなように,ほとんどのがんにおいて死亡者数の予測値は実際の値の概ね±10%以内になっていた.
±10%の範囲を超えたのは,男子の胆のうがん,腎臓がん,前立腺がん,女子の口腔・咽頭のがん,喉頭がん,肝臓がん,膵臓がんの7種であった.この7種のうち,男子の腎臓がんと前立腺がん及び女子の口腔・咽頭のがんの3種は,後に詳細に示すとおり,いずれも近年,死亡者数が急増しているがんであるため予測値と実測値との乖離が大きくなったものと考えられる.また,女子の喉頭がんは,死亡者数が少ないため,予測値と実測値とのわずかな乖離が比に過大に影響したものと考えられる.
表1で示したとおり,ほとんどのがんで予測値と実測値とが比較的良い一致を示したことから,コーホート変化率法7)に準拠したSAGEによる予測は,有効であると考えられる.
表1. 予測値と実測値の一致度
男子 | 女子 | |||||
予測 | 実測 | 予測/実測 | 予測 | 実測 | 予測/実測 | |
全がん | 203,558 | 206,352 | 98.6 | 133,470 | 137,753 | 96.9 |
口腔・咽頭のがん | 4,569 | 4,487 | 101.8 | 2,200 | 1,800 | 122.2 |
喉頭がん | 853 | 903 | 94.5 | 60 | 79 | 75.9 |
食道がん | 10,725 | 9,908 | 108.2 | 1,710 | 1,805 | 94.7 |
胃がん | 32,173 | 32,776 | 98.2 | 16,265 | 17,241 | 94.3 |
結腸がん | 14,458 | 14,166 | 102.1 | 13,580 | 14,526 | 93.5 |
直腸がん | 9,144 | 8,596 | 106.4 | 5,487 | 5,146 | 106.6 |
肝臓がん | 23,036 | 21,637 | 106.5 | 12,387 | 11,088 | 111.7 |
胆のうがん | 7,716 | 8,598 | 89.7 | 8,561 | 9,001 | 95.1 |
膵臓がん | 13,446 | 14,094 | 95.4 | 11,333 | 12,697 | 89.3 |
膀胱がん | 4,526 | 4,478 | 101.1 | 2,168 | 2,147 | 101.0 |
腎臓がん | 3,297 | 3,806 | 86.6 | 1,883 | 1,960 | 96.1 |
肺がん | 46,395 | 49,035 | 94.6 | 18,216 | 18,548 | 98.2 |
白血病 | 4,669 | 4,765 | 98.0 | 3,296 | 3,131 | 105.3 |
前立腺がん | 12,137 | 10,036 | 120.9 | |||
子宮がん | 5,870 | 5,524 | 106.3 | |||
乳がん | 11,517 | 11,918 | 96.6 |
注)予測値:2000年までの情報で2009年の死亡者数を予測した値
2. 今後の動向予測
1) 全がん(図1-1,図1-2)
世代マップで見ると,男子の死亡者数の列内ピーク(暦年におけるピーク)は,1950年頃に約60歳であったが,次第に高齢側に移動して1990年頃に約75歳となった.1990年代に入ってからは1926-28年世代のピークがだんだん大きくなり,2000年には列内ピークが約70歳になったが,2009年には再度約75歳に戻っている.死亡者数の増加率は,段々減少し,2010年代半ばに約21万名強に達し,その後減少していくものと予測される.女子の死亡者数の列内ピークは,1950年に約65歳であったが,順調に高齢側に移動して2009年に約80歳になっている.女子では,男子と異なり,1926-28年世代のピークが観測されない.女子も2010年代半ばに約15万名弱に達し,その後減少していくものと予測される.
図1-1. 全がんによる死亡者数の年次推移
(2010年以降は予測値)
図1-2. 全がんによる死亡者の世代マップ
(2010年以降は予測値,上段:男子,下段:女子)
2) 口腔・咽頭のがん(図2)
2009年の死亡者数のピークは男子で60〜80歳に広く分布し,女子では80歳代前半に位置する.男子死亡者数の増加は徐々に鈍り,2010年代半ばにピークの約5,000名強となり,その後は減少していくものと予測される.女子死亡者数は暫時増加を続け,2024年頃には2,400名に達すると予測される.
図2. 口腔・咽頭のがんによる死亡者数の年次推移
(2010年以降は予測値)
3) 喉頭がん(図3)
2009年の死亡者数のピークは男子で約70歳代後半であるのに対し,女子では明確なピークが観測されない.男子では,1920年後半の世代で死亡が多いのに対し,それ以後の世代で死亡者の増加がみられない.今後,死亡者数は急激に減少し,2024年頃の年間死亡者数は500名程度になると予測される.女子では,2024年頃の年間死亡者数が100名程度と予測される.
図3. 喉頭がんによる死亡者数の年次推移
(2010年以降は予測値)
4) 食道がん(図4)
2009年の死亡者数のピークは男子で70歳前後,女子では約80歳前後に位置する.男子では,2010年代半ばに年間死亡者数が11,000名となり,その後減少に転じるものと予測される.女子では死亡者数が微増傾向をたどり,2024年頃には2,000名程度になるとみられる.
図4. 食道がんによる死亡者数の年次推移
(2010年以降は予測値)
5) 胃がん(図5-1,図5-2)
世代マップで見ると男子の列内ピーク(暦年におけるピーク)は,1950年代に60歳代後半にあり,次第に高齢側に移動して1990年頃に70歳代後半となった.その後,食道がんと同様に,1990年頃から1926-28年世代に新たなピークが現れ,2009年の列内ピークは,70歳代後半になっている.また行内ピーク(出生世代におけるピーク)は1890-1930年の世代で観察でき,その年齢位置はほぼ69-77歳である.今後も年間死亡者数は着実に減少し,2024年頃の年間死亡者数は約25,000名と予想される.女子の列内ピークは,1950年頃に70歳前後であったが,これも次第に高齢化して2009年に80歳代後半となっている.行内ピークは1887-1919年の世代で観察でき,年齢位置は列内ピークにほぼ一致する.今後も年間死亡者数は着実に減少し,2024年頃の年間死亡者数は12,000名程度と予測される.
図5-1. 胃がんによる死亡者数の年次推移
(2010年以降は予測値)
図5-2. 胃がんによる死亡者の世代マップ
(2010年以降は予測値,上段:男子,下段:女子)
6) 結腸がん(図6)
2009年の死亡者数のピークは,男子70歳代後半,女子85歳に位置している.今後,団塊の世代がこの年齢域に近づくことから,死亡者数の増加が続いて2020年頃にピークとなり,年間死亡者数は,男子約15,000名,女子約15,000名に達するとみられる.
図6. 結腸がんによる死亡者数の年次推移
(2010年以降は予測値)
7) 直腸がん(図7)
2009年の死亡者数のピークは男子で70歳位,女子では80歳代半ばに位置する.男子の死亡者数は,2010年代前半に約9,000名弱のピークを示し,その後減少に転じると予測される.女子の死亡者数は,2010年代前半に約5,500名とピークを示し,その後減少に転じると予測される.
図7. 直腸がんによる死亡者数の年次推移
(2010年以降は予測値)
8) 肝臓がん(図8-1,図8-2)
2009年の死亡者数のピークは,男子75歳,女子80歳に位置する.男子では,1920年後半世代での死亡がピークを過ぎたことから,今後も順調に減少を続け,2024年頃に12,000名まで減少するとみられる.女子もまもなく減少基調になり,2024年頃には約8,000名まで減少するとみられる.
図8-1. 肝臓がんによる死亡者数の年次推移
(2010年以降は予測値)
図8-2. 肝臓がんによる死亡者の世代マップ
(2010年以降は予測値,上段:男子,下段:女子)
9) 胆のうがん(図9)
2009年の死亡者数のピークは,男子85歳,女子80歳代後半に位置する.男子の死亡者数は,2015年頃に9,000名まで増加し,その後停滞するとみられる.女子の死亡者数は,2010年頃の9,000名をピークに以後減少に転じ,2024年に約7,000名になるものと予想される.
図9. 胆のうがんによる死亡者数の年次推移
(2010年以降は予測値)
10) 膵臓がん(図10)
2009年の死亡者数のピークは,男女とも70歳代後半に位置する.男女とも今後も死亡者が増加し,2024年頃の年間死亡者数は,男子18,000名,女子20,000名になると予測される.
図10. 膵臓がんによる死亡者数の年次推移
(2010年以降は予測値)
11) 膀胱がん(図11)
2009年の死亡者数のピークは,男子80歳代前半,女子80歳代後半に位置する.男女とも死亡者数が増加を続け,男子では,2015年頃に年間死亡者数が5,000名ほどになり,その後停滞するとみられる.女子では,2024年頃に年間死亡者数が2,500名前後になると予測される.
図11. 膀胱がんによる死亡者数の年次推移
(2010年以降は予測値)
12) 腎臓がん(図12)
2009年の死亡者数のピークは,男子70歳代後半,女子85歳に位置する.男女とも死亡者数は増加を続け,2024年頃の年間死亡者数は男子5,000名,女子2,600名になると予測される.
図12. 腎臓がんによる死亡者数の年次推移
(2010年以降は予測値)
13) 肺がん(図13)
2009年の死亡者数のピークは,男子80歳,女子85歳に位置する.男子では,死亡者数が増加を続けるものの,増加率が減少し,2015年に年間死亡者数が55,000名になり,その後停滞するとみられる.女子も男子と同様に,死亡者数の増加は次第に緩慢となり,2024年頃には年間死亡者数が24,000名になると予測される.
図13. 肺がんによる死亡者数の年次推移
(2010年以降は予測値)
14) 白血病(図14)
2009年の死亡者数のピークは,男女とも80歳に位置する.2024年頃の年間死亡者数は,男女それぞれ5,500名と3,100名程度と予測される.
図14. 白血病による死亡者数の年次推移
(2010年以降は予測値)
15) 前立腺がん(図15)
2009年の死亡者数のピークは,85歳に位置する.年間死亡者数は,2015年頃に11,000名程度となり,その後減少に転じ,2024年に10,000万人程度になると予測される.
図15. 前立腺がんによる死亡者数の年次推移
(2010年以降は予測値)
16) 子宮がん(図16,図17)
世代マップを見ると,子宮がんの列内ピークは,年齢依存性というより,むしろ世代依存性が顕著で,1902-13年の世代が寄与している.その結果,年齢位置は1950年の50歳に始まって次第に高齢側に移動し,2009年では80歳になっている.一方2000年以降,団塊の世代が子宮がんによる死亡の増える年齢域に参入してきたため,年間死亡者数は,漸増して2024年頃に5,900名程度になるものと予測される.
図16. 子宮がん及び乳がんによる死亡者数の年次推移
(2010年以降は予測値)
図17. 子宮がんによる死亡者の世代マップ
(2010年以降は予測値)
17) 乳がん(図16,図18)
世代マップで見ると,乳がんの列内ピークは,1956年の50歳に始まり,次第に高齢化して,2009年で60歳にある.1910年頃の世代を境に,それ以後の世代での死亡者数急増傾向が注目されるが,団塊の世代以降の世代ではその増加が鈍ってきている様子も観測される.死亡者数は,今後も増加の一途をたどり,2024年頃に15,000名となり,2030年頃にピークに達するものと考えられる.
図18. 乳がんによる死亡者の世代マップ
(2010年以降は予測値)
結論
疾病動向予測システムを用いて2004年に報告した2009年の死亡者数の予測値は,ほとんどのがんで,実際の値の±10%以内になっていた.その結果,コーホート変化率法に準拠した本システムによる予測の有効性を検証できた.
1950年代と比して減少著しい子宮がん,逆に増加が著しい肺がんなど,がんによる死亡者数の推移は,部位と性別より非常に多彩である.がんはおおむね男子優位で増加する傾向にあるが,男女同数の結腸がん,女子優位の胆のうがんなど,特異な推移傾向を示すものもあり,疫学的成因の探索と分析が待たれる問題が少なからず含まれている.しかも,こうした部位別がんの死亡パターンは,各国でそれぞれ大きく異なっており,決して一様ではない.今後,がんによる死亡者数の動向を精密に観測して,がんの要因分析についてさらなる検討が必要と考える.
参考文献
1)池田一夫,灘岡陽子,神谷信行,広門雅子:東京衛安研セ年報, 55, 347-356, 2004.
2)池田一夫,上村尚:人口学研究, 30, 70-73, 1998.
3)東京都健康安全研究センター:SAGE(疾病動向予測システム)ホームページ: https://www.tmiph.metro.tokyo.lg.jp/sage/ (2011年7月14日現在,なお本URLは変更または抹消の可能性がある)
4)池田一夫,竹内正博,鈴木重任:東京衛研年報, 46, 293-299, 1995.
5)倉科周介,池田一夫:日医雑誌, 123, 241-246, 2000.
6)倉科周介:病気のなくなる日−レベル0の予感−, 1998, 青土社, 東京.
7)金子武治,伊藤達也,廣嶋清志,他:人口推計入門, pp98-110, 2002, 古今書院, 東京.